名古屋高等裁判所 昭和61年(ネ)471号 判決 1990年5月30日
控訴人(原告) 増野紫郎 外一名
被控訴人(被告) 吉田興業株式会社
主文
一 原判決中控訴人増野紫郎に関する部分を次のとおり変更する。
1 被控訴人は、控訴人増野紫郎に対し金一九四万三九六〇円及び内金一〇六万六九〇九円に対する昭和五八年八月一九日から、内金八七万七〇五一円に対する本判決確定の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 控訴人増野紫郎のその余の請求を棄却する。
二 控訴人増野幸子の本件控訴を棄却する。
三 控訴人増野紫郎と被控訴人との間に生じた訴訟費用は、第一・二審を通じてこれを三分し、その一を右控訴人の、その余を被控訴人の各負担とし、控訴人増野幸子と被控訴人との間に生じた控訴費用は右控訴人の負担とする。
四 この判決第一項のうち金一〇六万六九〇九円及びこれに対する年五分の割合の金員の支払を命ずる部分は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 控訴人ら
「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人増野紫郎(以下「控訴人紫郎」という。)に対し金三〇六万八八三〇円、同増野幸子(以下「控訴人幸子」という。)に対し金二六万五八〇〇円及び右各金員に対する昭和五八年八月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言。
二 被控訴人
「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決。
第二当事者の主張
次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決二枚目裏七行目及び同行から同八行目にかけての各「四月」の次に「一六日」を加え、同八行目の「なっている。」を「なった。」と改め、同一〇行目の「あるのに、」の次及び同三枚目表七行目の「しないで、」の次にそれぞれ「包括的な業務命令に基づき、」を加える。
二 同三枚目表末行の「原告」の前に「被控訴人は、控訴人らに対し一年間に給与の三か月分を支給する旨を約しながら、」を、同裏二行目の冒頭に「控訴人紫郎のした休日労働及び時間外労働のうち本訴において請求する分は別表(一)に記載したとおりであって、」をそれぞれ加える。
三 同五枚目裏七行目の「である。」を「で、労働基準法(以下「法」又は「労基法」という。)四一条にいわゆる断続的な業務として所轄労働基準監督署長の許可を得る必要はなく、控訴人紫郎の時間外、休日労働に対しては、労基法の労働時間、休日に関する規定は適用されない。」と改める。
四 同九枚目表一〇行目の「なお」を「仮に、控訴人紫郎の管理業務が実質的に監視又は断続的労働といえるような、精神的緊張が少なく労働密度の薄い労働であったとしても」と、同末行から同裏一行目にかけての「ものである。」を「から、法四一条の適用除外は認められず、控訴人紫郎の時間外、休日労働に対しては割増賃金が支払われなければならない。」とそれぞれ改める。
第三証拠関係<省略>
理由
一 請求原因1の事実、同2のうち控訴人らの仕事の内容と賞与に関する事実を除く事実、同3のうち控訴人紫郎の勤務時間が午前八時から午後五時までである事実は当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第四号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、右勤務時間のうち一時間は休憩時間であること、労働契約書には、日曜、祝祭日、年末年始を休日とする旨が記載されていたが、右の年末年始とは一二月二九日以降翌年一月三日までをいうこと、給料は毎月一五日締切り、同月三〇日支払の約束であったことが認められ、右認定に反する証拠はない。
二 控訴人紫郎は、被控訴会社の包括的な業務命令に基づいて時間外、休日労働をした旨主張するので、この点について検討する。
1 前掲甲第四号証の一、二、成立に争いのない甲第一号証の一ないし五、甲第二号証(原本の存在とも)、甲第三号証の一ないし四、甲第五号証の一、二、甲第九号証の一、二(原本の存在とも)、甲第一〇、第一一号証、甲第一七号証の一ないし四、甲第一八号証、甲第三一、第三二号証(原本の存在とも)、甲第三三号証の一ないし四、乙第一号証、乙第二号証の一、二、昭和五七年八月当時の後記本件出張所付近の写真であることに争いのない乙第五号証、原審証人太田真平の証言により右当時の本件出張所の写真であると認める乙第三号証の一、二、書き込み部分は当審における控訴人増野紫郎本人尋問の結果により真正に成立したものと認め、その余の部分は成立に争いのない甲第一九号証、当審証人奥島温生の証言により真正に成立したものと認める甲第二〇、第二一号証、原審における控訴人増野紫郎本人尋問の結果により原本の存在及びその成立を認める甲第七号証の一ないし三、甲第八号証、当審における控訴人増野紫郎本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第二二ないし第二八号証、甲第二九、第三〇号証の各一ないし三、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第一六号証、乙第二号証の三、原審証人太田真平(一部)、同辻明(一部)、当審証人河島治郎、同奥島温生の各証言、原審(一部)及び当審における控訴人増野紫郎、原審における控訴人増野幸子各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する原審証人太田真平、同辻明の各証言、原審における控訴人増野紫郎本人尋問の結果の各一部は措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 被控訴会社は、昭和五六年四月二五日、水資源開発公団(以下「公団」という。)三重用水建設所との間で、同建設所水源出張所(以下「本件出張所」という。)及びその敷地の管理に関する業務委託契約を締結し、職業安定所に右の管理に当たる者を募集する旨の求人の申込みをした。
(二) 控訴人紫郎(大正一四年一一月一四日生)・同幸子(昭和五年一〇月一六日生)夫婦は、職業安定所で、職種は賄給食兼管理人、作業内容は寮の管理人兼賄給食などのほか建物内の清掃、就業時間は午前八時から午後五時まで(土曜日は午後二時まで)、休日は日曜日及び祝日、時間外制度あり、夫婦で寮に住み込んで就労すること等を内容とする被控訴会社の求人票を見て、昭和五六年四月二七日、被控訴会社四日市支店において支店長等と面接した後、本件出張所において、本件出張所の所長等の立会いのうえ、四日市支店長から被控訴会社と公団三重用水建設所との間で締結されていた業務委託契約書を示され、これに基づき本件出張所における仕事内容の説明を受けて同意し、本件出張所の管理棟に住み込んで就労することになった。
(1) 右契約書に添付された仕様書(以下、単に「仕様書」という。)による仕事内容は次のとおりである。
<1> 管理の範囲
本件出張所とその敷地
<2> 清掃業務
事務所とその付帯施設及び敷地内
<3> 賄い業務
職員の昼食の賄い(給食)、給茶の準備
<4> 管理業務
事務所の火気取締及び防犯、職員退庁後の郵便物の受領及び電話の受信連絡、緊急の場合の処理と連絡、冷暖房期間中における冷暖房の準備及び職員退庁後の停止、休日における施設見学者等の応対
(2) また、前記契約書に添付された清掃仕様書による仕事内容は次のとおりである。
<1> 玄関ホール
床の拭き掃除、出入口扉のガラス磨き、マットの清掃、紙屑の処理
<2> 廊下
床の拭き掃除、研磨
<3> 階段
床の拭き掃除、手摺の雑巾がけ
<4> 湯沸場
床の拭き掃除、茶殻及び塵芥の処理、備品及び什器の手入れ
<5> 洗面所、WC
床の洗浄、手洗器の洗浄、便器の洗浄、鏡磨き、紙屑の処理、汚物の処理、トイレットペーパーの補給
<6> 食堂
床の拭き掃除、テーブル、椅子・カウンターの雑巾がけ、紙屑の処理、灰皿の処理
<7> 事務所等
床の拭き掃除、机・テーブル・椅子の雑巾がけ、紙屑の処理、灰皿の処理
<8> 外周
玄関付近及び建物外周の拭き掃除並びに除草
<9> その他
公団職員の指示に従い協力する。
(三) 被控訴会社は、控訴人紫郎が休日労働等を問題にした後の昭和五八年四月四日に公団三重用水建設所と業務委託契約を更新したが、その際に、仕様書及び清掃仕様書の内容を改めた。
(1) 改められた仕様書の主な内容は次のとおりである。
<1> 業務時間
業務の拘束時間は七時から二二時までとし、実働時間は一日につき七時間を超えないものとする。
<2> 休憩時間
休憩時間は拘束時間中の実働しない時間をもってこれに充てるものとする。
<3> 業務内容
事務所等の火気取締及び防犯、職員退庁後の郵便物の受領及び電話の受信連絡、冷暖房機の操作及び調節、事務所等の清掃及び整備、職員への昼食の賄い及びこれに付随する業務、職員への給茶の準備、公団三重用水建設所の指定する業務日誌の作成
なお、右契約更新の際の仕様書案には、「休日 休日は、日曜日及び国民の祝日に関する法律に定める日とする。」との項目があったが、被控訴会社の要請により削除された。
(2) 右契約更新の際に交わされた覚書には、「火気取締及び防犯」業務に係る巡視回数は次のとおりとし、夜間は原則として一回以上巡視するものとする旨の記載がある。
<1> 平日 三回
<2> 土曜日 四回
<3> 日曜日、祝日及び公団三重用水建設所が指定する日 五回
(3) しかし、被控訴会社は、控訴人らに対して業務内容及び業務時間については従前どおりでよい旨を指示した。
(四) 本件出張所の建物は、コンクリート造二階建で、正面約二一メートル、奥行約一一メートルで、一階に会議室、機械室、休憩室、食堂、用務員室等、二階に事務室、資料室、通信機室、操作室等がある。本件出張所に勤務する公団職員は、時期によって異なるが数名であり、通常、午前九時から午後五時まで勤務していたが、残業をすることもあり、また、休日に出勤することもあった。
(五) 控訴人らは、昭和五六年四月二七日から仕様書に書かれた仕事に従事したが、主として、控訴人幸子が公団職員の賄い業務及び食堂、便所等の一部の清掃作業を分担し、控訴人紫郎がその他の清掃作業及び管理業務を行った。
(六)(1) 控訴人紫郎は、仕様書に記載された仕事の内容を自己の職務内容と受け止め、これを実行するために、通常の日には、午前七時頃から、時には午前六時頃から本件出張所の清掃、管理の仕事を開始し、所定の就業時間内は、本件出張所の監視、敷地の清掃、植え込みの手入れ等の業務を、午後五時以降は公団職員の退庁を待っての戸締まり、巡視等の管理業務をし、日曜、祝祭日にも、清掃、草刈り、電話番、本件出張所見学者等の監視を行った。しかし、控訴人紫郎が就業開始時刻である午前八時から仕事を始めても、支障を生ずることはなかったし、また、公団職員の退庁を待ってその日のうちにしなければならない戸締り等の仕事に要する時間は極くわずかなものであり、後片付けなどは翌日の就業開始後に行えば足りるものであった。なお、年末年始には、公団職員の緊急の際の連絡を引き受けたが、実際に緊急連絡のあったことはなかった。
(2) 公団においても、控訴人らの職務内容は、仕様書に拘束されるものととらえていたため、前記のような控訴人紫郎の勤務を当然のこととして受け止め、職員の残業後で控訴人紫郎の就業時間外に戸締まりをさせたり、休日には連絡用に控訴人らのうちの少なくとも一名が本件出張所に居ることを求めた。
(3) 控訴人幸子は、以前から勤めていた四日市市内のキャバレーの会計事務の仕事(午後六時から零時まで)を続けるため、午後四時三〇分頃から本件出張所を出て翌日午前一時頃帰宅していた。これは控訴人らの退職まで続いたが、公団は控訴人幸子の仕事が主として昼食の賄いであったことから、同控訴人の右のような勤務態度について特段の苦情を述べなかった。
(七) 被控訴会社は、控訴人らの労働に対し法四一条の規定する労働基準監督署長の許可を受けておらず、控訴人紫郎が、当初、休日は休んでもよいかと質問したのに対し、被控訴会社四日市支店長太田真平は、「どちらか一人が残れば休んでもよい。」と回答していた。しかし、被控訴会社は、昭和五七年四月一六日以降は控訴人紫郎の要求に応じて休日に代替要員を派遣したこともあった。
(八) 被控訴会社は、控訴人紫郎が休日労働等を問題にした後の昭和五七年七月一二日頃到達の内容証明郵便で同年八月一八日限り控訴人らを解雇する旨の解雇予告通知をしたが、控訴人らは、同年九月一七日、津地方裁判所四日市支部において地位保全の仮処分決定を得てそのまま継続して勤務した。しかし、昭和五八年六月末日限りで業務委託契約の期間が満了した後、被控訴会社が公団から業務委託契約の更新をしてもらえなかったため、控訴人らは同日限りで被控訴会社を退職した。
(九) 公団三重用水建設所は、昭和五九年四月から本件出張所の管理業務を株式会社水の友に委託しているが、同会社から派遣されている管理人は、公団の休日には指定出勤日として休日以外の日と同様の業務を行っている。
2 以上の事実関係によれば、被控訴会社は、公団から本件出張所の管理等に関し仕様書記載のとおりの業務を委託され、被控訴会社の従業員である控訴人らに対し右業務を職務内容として指示し、控訴人らに対する実際の指揮、監督を公団側にも重畳的に委ね、公団職員も、控訴人らに対して仕様書に基づいて仕事を指示していたものということができる。そして、公団職員が退庁した後の戸締まり等の仕事をするために公団職員が退庁するまで待機している時間は、いわゆる手待ち時間として労働時間に含めて考えるべきものであるが、控訴人紫郎において、公団職員が退庁した後その日のうちにしなければならない仕事に要する時間は極くわずかなものであり、退庁後であれば、いつその仕事をするかは同控訴人の自由であるとの事情を考慮すると、被控訴会社の就業日においては、就業時間の終了した午後五時以降、同控訴人が現実にその仕事をした時刻までではなく、その仕事をすることのできる状態になった時刻まで、すなわち、公団職員が最後に退庁した時刻までの労働時間を、また、被控訴会社の休日においては、午前八時から午後五時までの労働(但し、休憩時間一時間)を、被控訴会社の包括的な業務命令に基づくものと認めるのが相当である。しかし、就業開始時刻である午前八時より前に行った労働及び公団職員退庁後にしたものであっても翌日の就業開始後にすれば足りる後片付け等をした労働は、被控訴会社ないし公団の指示に基づくものと認めることはできず、控訴人紫郎の自発的な行為というべきである。
被控訴会社は、控訴人紫郎の職務が管理業務であって、労働密度の極めて薄い精神的緊張の伴わない軽易な労務であり、法四一条の労働基準監督署長の許可を得なくても労基法の労働時間及び休日に関する規定は適用されない旨主張するところ、前認定の事実によれば、同控訴人の就業時間外及び休日における労働が労働密度の薄い精神的緊張の伴わない軽易な労務で監視、断続的労働であるとは認められるけれども、被控訴会社が同控訴人の労働につき法四一条の許可を得ていない以上、労働時間及び休日に関する規定の適用は免れないというべきである。けだし、法四一条の趣旨は、監視又は断続的労働と一般の労働との区別は実際には困難な場合が多く、監視、断続的労働であることを口実に不当な労働時間形態がとられることもあるため、これを事前に労働基準監督署長に判断させ、労働者の保護を図ろうとしたところにあると解されるからである。したがって、被控訴会社は、控訴人紫郎に対し、時間外、休日労働について法三七条の割増賃金を支払う義務があることになる。
三 そこで、前記の認定判断を前提として、控訴人紫郎のした時間外、休日労働に対する割増賃金額等について検討する。
1(一) 控訴人紫郎は、被控訴会社の休日にした労働のすべてについて割増賃金を請求しているが、法三七条による割増賃金を支払うべき休日労働とは、法三五条の定める休日(以下「法定休日」という。)における労働をいうのであるから、法定休日以外の休日(以下「法定外休日」という。)において労働をさせても、右の労働により労働時間が一週間に四八時間(昭和六二年法律第九九号による改正前の法三二条参照)を超えることになった等の事情のない限り、割増賃金を支払う義務はなく、通常の賃金を支払えば足りると解すべきところ、本件においては、右の事情が存することについての主張立証はない。
そして、前掲甲第六号証(一部)、甲第七号証の一ないし三、甲第八号証、甲第二二ないし第二八号証、甲第二九、第三〇号証の各一、三、原審における控訴人紫郎本人尋問の結果によれば、控訴人紫郎は被控訴会社の休日に別表(二)記載のとおり労働したこと、同控訴人の法定休日及び法定外休日にした労働の月毎の時間数は、別表(三)の「法定休日労働」及び「法定外休日労働」の各「時間数」欄に記載したとおりであることが認められる。甲第六号証には、昭和五八年三月二〇日及び同年四月一〇日にも労働した旨の記載があるが、前者については甲第八号証に午後六時まで外出した旨の記載があることに照らし、また、後者については甲第七号証の一に午前七時から午後一〇時まで外出した旨の記載があることに照らして、いずれも信用することができず、他に右認定を左右すべき証拠はない。
(二) 前記(一)掲記の証拠によれば、控訴人紫郎のした時間外労働の月毎の時間数は、別表(三)の「時間外労働」「時間数」欄に記載した括弧書き部分を除く部分のとおりであることが認められる。控訴人紫郎は、月によっては右認定時間以上の時間外労働をした旨主張し、甲第六号証には右主張にそう記載があるが、右記載は具体性に乏しく直ちに信用することができず、他に右に認定した以上に同控訴人が時間外労働をしたことを認めるに足りる証拠はない。
2 控訴人紫郎に対する給料は月によって定められており、月によって所定労働時間数が異なるので、法施行規則一九条に従って割増賃金の基礎となる一時間当たりの賃金額(以下「基礎賃金」という。)及び割増賃金額を計算すると、次のようになる。
(一) 昭和五六年四月二七日から昭和五七年四月一五日までは、給料月額が前記のとおり一二万一〇〇〇円であるところ、昭和五六年四月一六日から昭和五七年四月一五日までの一年間の労働日が二九七日であるから、基礎賃金は六一一円(円未満四捨五入。以下同じ。)となる。
(二) 昭和五七年四月一六日から昭和五八年四月一五日までは、給料月額が前記のとおり一二万六〇八八円であるところ、右一年間の労働日が二九七日であるから、基礎賃金は六三七円となる。
(三) 昭和五八年四月一六日から退職までは、給料月額が前記のとおり一三万一九八三円であるところ、同日から昭和五九年四月一五日までの一年間の労働日が二九七日であるから、基礎賃金は六六七円となる。
3 右の基礎賃金に基づいて、法定休日労働及び時間外労働(但し、労働時間数が控訴人紫郎の請求する時間数を超える場合には、請求時間数を限度とする。)に対する二割五分の率で計算した割増賃金額並びに法定外休日労働に対する賃金額を月毎に計算すると、別表(三)の「割増賃金」欄及び「賃金」欄記載のとおりとなる。したがって、控訴人紫郎は、被控訴会社に対し、休日労働に対する割増賃金合計五九万七六九四円及び時間外労働に対する割増賃金合計三二万二一二七円の総計九一万九八二一円の割増賃金請求権及び一四万七〇八八円の賃金請求権を有することになる。
四 控訴人紫郎の付加金の請求について判断するに、特段の事情が存することについて主張立証のない本件においては、被控訴会社に対し付加金の支払を命ずるのが相当である。そして、記録によれば、控訴人紫郎が本訴を提起したのは昭和五八年七月二一日であると認められるところ、法一一四条によれば付加金の支払の請求は違反のあった時から二年以内にしなければならないとされているので、本訴提起前二年以内の支払分、すなわち昭和五六年七月三〇日に支払うべき同年六月一六日以降に生じた休日労働に対する割増賃金合計五五万四九二四円及び時間外労働に対する割増賃金合計三二万二一二七円の総計八七万七〇五一円につき同額の付加金の支払を命ずることとする。
五 次に、控訴人らは、被控訴会社との間に賞与として一年間に給与の三か月分を支払う旨の合意をした旨主張し、控訴人増野紫郎本人は、原審において、右主張にそう供述をしているところ、前掲甲第二号証(求人票)には、賞与として「(前年度実績)年二回(年三月分)」との記載があるが、右記載の趣旨は前年度実績を記載したにすぎないと認められること、原審証人太田真平、同辻明は右合意の成立を否定する供述をしていること、並びに前掲甲第六号証及び弁論の全趣旨によれば、控訴人らは、賞与として、昭和五六年七月に各一万円、同年一二月に各七万五〇〇〇円、昭和五七年六月に各六万二〇〇〇円を格別の異議をとどめず受領したものと認められることに照らすと、控訴人増野紫郎本人の前記供述は措信することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
六 以上に述べたところによれば、被控訴会社は、控訴人紫郎に対し、時間外、休日労働に対する割増賃金合計九一万九八二一円及び通常の労働に対する賃金合計一四万七〇八八円の総計一〇六万六九〇九円及びこれに対する支払日の後である昭和五八年八月一九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金並びに付加金合計八七万七〇五一円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払ずみまで右年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることになる。
よって、控訴人紫郎の本訴請求は右の限度で理由があるが、その余は失当であり、同幸子の本訴請求は失当であるから、控訴人紫郎に関する部分については、結論の異なる原判決を右のとおりに変更し、同幸子に関する部分については、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九五条、八九条、九二条を適用し、なお、割増賃金及びこれに対する遅延損害金の支払を命ずる部分については同法一九六条を適用して仮執行の宣言を付し、その余の認容部分については相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 野田宏 瀬戸正義 豊永多門)
別表(一)
(注) 1月は前月16日から当月15日まで。
休日労働1日は労働時間8時間。
年月
休日労働日数
時間外労働時間
56.5
6
7
8
9
10
11
12
57.1
2
3
4
5
6
7
8
9
5
5
4
4
6
6
6
5
10
6
4
5
6
4
3
1
0
12
25
25
25
25
25
25
25
25
25
25
25
25
25
25
25
2
年月
休日労働日数
時間外労働時間
57.10
11
12
58.1
2
3
4
5
6
7
2
6
5
10
4
4
5
8
4
1
15
25
25
25
25
25
23
25
25
8
別表(二)
(注) 特に断らない限り1日の労働時間は8時間。
括弧内は実際の労働時間で、小数点以下の単位は分。
○印は日曜以外の休日。
年月
休日労働日
56.4
<29>
5
3 <4> <5> 10 17 24 31
6
7 14 21 28
7
5 12 19 26
8
2 9 16 23 30
9
6 13 <15> 20 <23> 27
10
4 <10> 11 18 25
11
1 <3> 8 15 22 <23> 29
12
6 13 20 27 <29> <30> <31>
57.1
<1> <2> 3 10 <15> 17 24 31
2
7 <11> 14 21 28
3
7 14 21 <22> 28
4
4 11 18 25 <29>
5
2 <3> 9 16 23 30
年月
休日労働日
57.6
6 20 27
7
4 18 25
8
15
9
0
10
3 10(6) 17 24 31
11
<3> 7 14 21 <23>(7.30) 28(5.30)
12
5 12(7.30) 19 26 <29> <30> <31>
58.1
<1>(3.30) 2 <3> 9(7) <15> 16 23 30
2
6 20 27
3
6 13 <21> 27
4
3 17 24(1.30) <29>
5
1 <3> <5> 8 15 22 29
6
5 12 19
別表(三)
(注) 1月は前月16日から当月15日まで。
括弧内は控訴人紫郎の請求時間数。
時間数欄の数字の小数点以下の単位は分。
年月
法定休日労働
法定外休日労働
時間外労働
時間数
割増賃金
時間数
賃金
時間数
割増賃金
56.5
16
12,220
24
14,664
0
0
6
40
30,550
0
0
0
0
7
32
24,440
0
0
0
0
8
32
24,440
0
0
40.05(25)
19,094
9
40
30,550
8
4,888
55.40(25)
19,094
10
32
24,440
16
9,776
49.05(25)
19,094
11
40
30,550
8
4,888
40.30(25)
19,094
12
32
24,440
8
4,888
9.20
7,128
57.1
32
24,440
48
29,328
0
0
2
40
30,550
8
4,888
0
0
3
32
24,440
0
0
0
0
4
32
24,440
8
4,888
0
0
小計
400
305,500
128
78,208
109.20
83,504
57.5
32
25,480
16
10,192
0
0
6
32
25,480
0
0
39.10(25)
19,906
7
24
19,110
0
0
60.15(25)
19,906
8
24(8)
6,370
0
0
45.55(25)
19,906
9
0
0
0
0
12.50(2)
1,593
10
14
11,148
0
0
58.40(15)
11,944
11
40
31,850
8
5,096
39.20(25)
19,906
12
29
23,091
7.30
4,778
31.37
19,906
58.1
31
24,684
43.30
27,710
25
19,906
2
32
25,480
0
0
48.20(25)
19,906
3
32
25,480
0
0
54.50(25)
19,906
4
16
12,740
8
5,096
42.10(23)
18,314
小計
290
230,913
82.60
52,872
240
191,099
5
33.30
27,931
24
16,008
24
20,010
6
32
26,680
0
0
35.10(25)
20,844
7
8
6,670
0
0
9.10(8)
6,670
小計
73.30
61,281
24
16,008
57
47,524
597,694
147,088
322,127
参照
原審判決の主文、事実及び理由
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
1 被告は、原告増野紫郎に対し金三〇六万八八三〇円、同増野幸子に対し金二六万五八〇〇円及びこれらに対する昭和五八年八月一九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 被告
主文同旨。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 被告はビル総合管理等を目的とする株式会社であり、原告らは夫婦で昭和五六年四月二七日被告会社(四日市支店)に入社したものである。
2 原告らは、入社後直ちに、被告が業務委託を受けている水資源開発公団(以下「公団」という)の三重用水建設所水源出張所(以下「出張所」という)の公団建物に住み込み、原告紫郎は右建物の管理、清掃の仕事、原告幸子は昼食の賄いの仕事にそれぞれ就労した。
労働契約上の労働条件は、原告紫郎は給料月額一二万一〇〇〇円、同幸子は給料月額八万三八〇〇円で、賞与は年間各三か月分であった。その後、原告紫郎は昇給し、昭和五七年四月から月額一二万六〇八八円、同五八年四月から月額一三万一九八三円となっている。
3 原告紫郎は、勤務時間が午前八時から午後五時までであるのに、就労後は、公団職員の執務が円滑になされるため午前六時ころから清掃、管理の仕事を開始し、昼間は出張所建物内外の警備、監視、来訪者の応待等の作業をなし、夕方は公団職員が全員帰るのを待って、戸締り、火元の点検、各所の閉門施錠をなし、降旗をもって一日の作業を終えるのは午後八時ころであった。
4 また、原告紫郎は、日曜・祝祭日にも、管理、警備、監視、電話の取次等が必要であり、被告が代替要員の派遣をしないので、就労後一年余りは年中無休の状態で勤務した。
5 そこで、被告は、原告紫郎に対して時間外手当、公休日出勤手当を支払うべきであるのに、その支払いをしない。また賞与についても、原告らに契約どおりの支払いがなされていない。
原告らに対する未払金は次のとおりであり、その詳細は別紙計算書記載のとおりである。
(一) 原告紫郎に対する未払金
(1) 公休日出勤手当 金八〇万〇三三四円
右の附加金 金八〇万〇三三四円
(2) 時間外勤務手当 金四七万三五一〇円
右の附加金 金四七万三五一〇円
(3) 賞与未払金 金五二万一一四二円
右合計 金三〇六万八八三〇円
(二)原告幸子に対する未払金
賞与未払金 金二六万五八〇〇円
6 よって、原告増野紫郎は被告に対し金三〇六万八八三〇円、原告増野幸子は被告に対し金二六万五八〇〇円、及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年八月一九日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因第一項の事実は認める。
2 同第二項の事実のうち、原告らの仕事の内容と賞与の点を争い、その余の事実は認める。
仕事の内容は、原告ら共通であり、管理・清掃・賄いの仕事である。
3 同第三項の事実のうち、原告紫郎の勤務時間が午前八時から午後五時までであることは認めるが、その余の事実は否認する。
4 同第四、五項の事実は否認する。
三 被告の主張
1 原告らの職務は、両名共、出張所に寝泊りして、同所の清掃と公団職員の昼食の賄いを中心としたいわゆる管理人業務であって、労働密度の極めて薄い、精神的緊張も全く伴わない非常に軽易な労務である。清掃というのは出張所建物内の各部屋と建物周囲の草取りくらいのものである。その賄いに関する仕事については、同出張所に勤務してくる公団職員は四名ないし七名にすぎず、原告幸子一人で後片付けをも含めて午後三時三〇分ころには終了してしまう程度のものである。ほかには具体的労働性を伴うような管理業務はほとんど存在しない実情であった。
原告紫郎は、昼間は出張所の建物内外の警備、監視、来訪者の応対をした旨主張するが、このような事実はなく、そもそも出張所の建物内外の警備、監視など、被告が公団から請負った業務委託の範囲にすら入っておらず、従ってそれを原告に指示するはずがない。また同原告は、夕方は公団職員が全員帰るのを待って戸締り、火元の点検、各所の閉門施錠、降旗をした旨主張するが、これらは、極まれに同原告がしたことがあったかもしれないが、もともとは公団職員が日常の職務行為の一環としてごく通常にしていたことである。
2 原告らの勤務時間は、日曜・祝祭日を除いて、午前八時から午後五時までである。そして、原告らの現実の勤務も右のとおりであったと思われる。原告紫郎は、午前六時から清掃、管理をした旨主張するが、そのような必要性もなければ、また被告会社からの指示もない。もとより、原告らの職務は極めて軽易な労務であるから、同原告が勤務時間内よりも時間外にしたいと思えば、それは同人の自由意思によってなし得ることであり、もしそうしたというのであれば、それはもはや労働条件云々の問題ではない。また同原告は、火元の点検、各所の閉門施錠、降旗を終えると午後八時であった旨主張するが、このような事実はない。仮に何かの都合で極まれに同原告がしたことがあったとしても、公団職員は夕方五時には退庁するはずであり、右の各作業などその退庁とほぼ同時になし得ることである。仮にまれに残業があったとしても、右戸締りなどは当該職員の帰る際の一箇所だけでよいし、火元の点検も、同人が仮に使用しておればその灰皿を片付けるのみであり、各所の閉門施錠、降旗などは夕方五時にしておけばよいことである。
このように、右原告の労務は所定の勤務時間内に十二分に処理し切れるものであり、時間外勤務の必要性は全くないのであるが、仮に稀有な場合として時間外に労務を提供したことがあったとしても、それは労働密度の極めて薄い精神的緊張も全く伴わない軽易な労務であるうえ、一日の労働時間が所定の労働時間を超えるようなことはないのであるから、それに対する時間外手当の必要はないというべきである。
なお、原告幸子は、被告会社に勤務するかたわら、四日市市内においてキャバレーにも勤務していた。右勤務時間は午後六時から翌朝午前零時までであるが、その出勤のためには、出張所を遅くとも午後四時三〇分には出なければならない。同原告の行為は明らかに被告会社の就業規則に違反するものである。
3 原告らには日曜・祝祭日が休日として与えられていた。原告紫郎は、日曜・祝祭日にも管理等の労働をしており年中無休の状態であった旨主張するが、そのような事実は全くない。公団から被告に対して休日の業務の依頼があった訳ではないから、当然、被告も原告に対して業務命令を出してはいなかったし、そもそも休日に、同原告が行うような業務自体存しないものである。
4 原告らは、賞与は年間各三か月分の契約であった旨主張するが、そのような事実もない。およそ賞与というものは、当該決算期毎における会社の業績や各労働者の功労等によって具体的事情に合わせて決定される筋合のものであり、常時一定しているという性質のものではない。また、被告会社の定める賃金支給規定にも、賞与の支給基準についてはその都度定めると規定し、一定額ないし一定率の定めはない。
四 被告の主張に対する原告らの反論
1 原告らは職業安定所の求人広告により、被告会社に入社した。その求人広告の労働条件は、(一)就業時間午前八時~午後五時(土曜午後二時)、(二)休日日曜、祝日、(三)賞与年二回(年三か月分)、となっていたため、原告らは被告との間で右と同内容の契約をしたものである。
2 原告らの労働内容は、清掃業務、賄業務、管理業務であり、特に管理業務は、(一)事務所の火気取締り及び防犯、(二)職員退庁後の郵便物の受領及び電話受信連絡、(三)緊急の場合の処理と連絡、(四)冷暖房期間中における冷暖房の準備及び職員退庁後の停止、(五)休日における施設見学者等の応対、電話貸与の便宜、である。
右業務内容の意味するものは、労働時間が午前八時から午後五時と決まっていながら、公団職員の出勤前に清掃し、退庁後にも清掃することにより、公団職員の出勤が八時であるので午前六時ないし七時から清掃を始めることになり、また公団職員の退庁が午後五時あるいは残業の場合午後六時ないし七時になるとその後に清掃することになり、労働時間は大巾に超過勤務となる。
また、休日の電話の受信連絡、郵便物の受領、あるいは見学者等の応待等があり、原告紫郎は休日でも勤務しなければならない。
従って、原告らの職務は、被告が主張するような労働密度の極めて薄い、精神的緊張も全く伴わない軽易な労務であるとは到底いえないものである。かえって、原告らは被告により、一日二四時間、身体を拘束されながらの勤務といっても過言ではなく、非常に大切な業務にほかならない。被告の主張は、管理人業務というものが多岐にわたり、かつ目に見えない精神的かつ肉体的な労働であることを理解しないものである。また被告は、原告らに対して時間外勤務を命じたことはないと主張するが、それは原告らの労働の実体を無視した空論であるといわねばならない。
なお、被告は、原告らについて労働基準法四一条三号の規定による労働基準局の許可を受けていないものである。
4 原告らに対する被告からの給料があまりにも薄給であるため、原告幸子において夜間四日市市内のキャバレーのフロント係の勤務を継続していたことは被告会社も認めていたところであるが、原告幸子は昼食の賄業務のために採用されているのであって、その業務に支障は全くなかったものである。
第三証拠<省略>
理由
一 請求原因第一、二項の事実(但し、原告らの仕事内容の個別性及び賞与の点を除く。)及び原告紫郎の勤務時間が午前八時から午後五時までであったことは、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告紫郎が時間外勤務を、原告らが休日勤務をなしたか否かについて検討するに、右当事者間に争いない事実、成立に争いのない甲第一号証の一ないし五、第二号証(原本共)、第三号証の一ないし四、第四、五号証の各一、二、第九号証の一、二(原本共)、第一〇、一一号証、乙第一号証、第二号証の一、二、証人太田真平の証言によりその成立を認める乙第三号証の一、二、第四号証の一ないし四、原告増野紫郎本人尋問の結果によりその成立を認める甲第七号証の一ないし三(原本共)、第八号証(原本共)、弁論の全趣旨によりその成立を認める甲第一六号証、乙第二号証の三、証人太田真平、同辻明の各証言、原告増野紫郎、同幸子各本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 被告は、建築物の清掃、衛生管理、警備保障、管工事等のビル総合管理等を目的とし、名古屋市に本店を有する従業員約六〇〇名の株式会社であり、労働組合はない。
2 原告紫郎(大正一一年一一月一四日生)、同幸子(昭和五年一〇月一六日生)夫婦は、職業安定所で寮の賄給食兼管理人(夫婦)を求める被告の求人票を見て、昭和五六年四月二七日被告会社四日市支店に入社した。そして、原告らは同日より、被告が業務委託を受けている水資源開発公団の三重用水(通称下里ダム)建設所水源出張所の建物(管理棟)に住み込み、賄い、清掃等の管理人業務に従事した。
3 右出張所の建物は、コンクリート造り二階建で、正面約二一メートル、奥行き約一一メートルの広さがあり、一階に会議室、機械室、休憩室、食堂、用務員室等、二階に事務室、資料室、通信機室、操作室等がある。右出張所には公団職員五名ないし九名(昭和五六年当時九名、同五七年より七名、同五八年より五名)が午前八時三〇分ころから午後五時ころまで勤務していた。
4 原告らの職務内容は、被告が公団より業務委託を受けた内容とほぼ同様であり、原告ら共に、出張所の建物とその敷地の清掃業務、管理業務及び公団職員の昼食賄い、給茶の準備である。しかし、実際には、原告幸子が主として賄業務及び食堂、便所等一部清掃業務を分担し、原告紫郎がその他の清掃業務及び管理業務を行っていた。
5 原告らの勤務時間の契約は午前八時から午後五時までであり、日曜、祝祭日及び年末年始は休日であった。しかし、原告紫郎は右出張所を終生の職場と決意し、完璧な管理人でありたいとの考えの下に、朝は七時ころ、時には六時ないし六時三〇分ころから右建物内の清掃(掃除に要する時間は、原告紫郎において一時間三〇分位、原告幸子において三、四〇分位である)、管理の仕事を開始し、昼間は建物内外の監視、敷地の清掃、植込みの手入れ等の業務を、夜は戸締り、巡視等の管理業務を遅くまでなし、日曜・祝祭日においても水槽の清掃(年間四回位)、床の油拭き(一か月か二か月に一回)、草刈り、見学者・ハイキングに来た人の監視等をなし、さらにはダムの水位の監視等まで自発的にしていた。
出張所における原告らの勤務状況等の管理・監督については、被告はこれを原告らの良心・自主性に委ね、公団より苦情のない限り特に原告らを監督することはしておらず(昭和五八年四月から、ようやく簡単な委託業務履行簿、業務日誌を付け始めたものである)、一方、原告紫郎も他人から指図されたくない気持ちが強く、自己の職場は二四時間勤務、年中無休であるとの考えの下に、自分の方から求めて積極的に仕事をしていたものである。
6 原告幸子は、公団職員の昼食の賄いが主な仕事であったが、以前から勤めていた四日市市内のキャバレーの会計事務の仕事(午後六時から一二時まで)を続けるため、午後四時三〇分ころから出張所の建物を出、翌午前一時ころ帰宅していた。原告幸子の右キャバレーへの勤務は、その後任者が決まるまでの暫定的なものということであったが、被告の勧告にもかかわらず、その後も原告らの後記退職時まで継続されていた。
7 原告らの給与は、原告紫郎が当初一二万一〇〇〇円(住宅手当四〇〇〇円、以下同じ)、昭和五七年四月から一二万六〇八八円、同五八年四月から一三万一九八三円であり、原告幸子が当初八万三八〇〇円、同五七年四月から九万〇〇九〇円である。また、支給された賞与は、昭和五六年七月各一万円、同年一二月各七万五〇〇〇円、同五七年六月各六万二〇〇〇円であり、同五八年六月末までに各合計二三万七〇〇〇円が支払われた。
8 昭和五七年五月ころから原告らと被告との間で時間外勤務手当をめぐって紛争が起り、被告は同年七月一二日付内容証明郵便をもって原告らを同年八月一八日限り解雇する旨通告したが、原告らは同年九月一七日地位保全の仮処分決定を得て、そのまま継続して勤務した。しかし、被告は公団から昭和五八年六月末限りで業務委託を解約され、同時に原告らは被告会社を任意退職した。
9 公団は昭和五八年七月以降、出張所の清掃・賄い・管理業務につき、常雇一名(勤務時間七時間三〇分)、パート一名(勤務時間四時間)を時間外・休日勤務なしの条件で、他に委託している。
以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 右認定事実によれば、原告らの職務内容は、共に出張所の建物に住み込んで、同所の清掃、管理と出勤してくる一〇名弱の公団職員の昼食の賄いを中心とした通常の管理人業務であって、労働密度の極めて薄い、精神的緊張もあまり伴わない軽易な労働であるということができ(原告紫郎もその本人尋問において、「過重な労働と思ったことはない」旨供述している)、被告との間で契約された午前八時から午後五時までの勤務時間内に十分為し遂げられる程度のものであると認められる。しかし、原告紫郎は、現実に、その清掃・管理業務を午前六時ころから夜間遅くまで行っていたことが認められるのであるが、もともと原告らの職務のうち時間的制約の存するのは昼食の賄い、給茶の準備位であって、他の清掃・管理業務については時間的制約の少ない仕事であり、これを何時どのようにするかは原告らの自主的判断に委ねられていたものであるため、原告紫郎自身の希望・判断により右勤務時間外にこれを実施していたものであることが認められる。従って、原告紫郎のなした仕事のうち午前八時以前及び午後五時以降の分は被告の個別的あるいは包括的な業務命令に基づく時間外勤務ということができないものである。もっとも、時には、右勤務時間以外に掛かってくる電話や来訪者に対する応待もあり(しかし、これらが月間数回以上あったとの証拠はない)、夜間の防犯・防火の点検も存したことが窺えるけれども、これらのことは一般に自宅に居住している者であっても当然あり得ることであり、そのために特別の待機時間を必要とする訳ではなく、またその内容も短時間、軽易であって具体的労働性に欠けるものとみるのが相当である。まれに公団職員が残業した場合であっても、同所に居住している原告らにとっては、そのことによる職務の増加は右と同様にみることができる。
従って、原告紫郎は昭和五六年四月二七日から同五八年六月二五日までの間合計六一〇時間の時間外勤務をなした旨主張しているけれども、同原告の右勤務はいずれも被告の業務命令に基づくものということはできず、また具体的労働性に欠ける内容程度の事柄とその待機時間をもって勤務時間とするに過ぎないものであって、所定の給与以外に賃金を請求し得べき時間外労働ということができないものであるから、右主張は理由がない。
また、原告紫郎は休日であるべき日曜・祝祭日にも、昭和五六年四月から同五八年六月までの間に合計一二九日間勤務した旨主張する。しかし、前記認定事実によれば、これもまた右時間外勤務の場合とほぼ同様であって、被告の個別的あるいは包括的な業務命令に基づく勤務とは到底認め難いものである。原告紫郎は、被告会社四日市支店長太田真平らから、「日曜、祝日は働かなくてもよい」旨言われていた(同人の証言)のに、自ら完璧な管理人たらんことを求めて、休日においても自発的に清掃、管理等の業務に従事し、外出を慎しんでいたものであって、これらは被告に対して賃金を請求し得べき休日労働ということができないものであるから、右主張も理由がないといわざるをえない。
四 次に、原告らは、被告が原告らに対して年間三か月分の賞与を支給する旨契約したと主張し、原告ら各本人尋問の結果中には右主張に副う供述部分がある。
しかしながら、もともと賞与は当該決算期毎における会社の業績や各労働者の勤務状況等により具体的事情に合わせて決定される筋合いのものであるところ、原告らの指摘する職業安定所における被告の求人票(甲第二号証)の賞与欄にも「(前年度実績)年二回(年三月分)」と記載され、それが前年度実績に過ぎないことが明示されているものであること及び証人太田真平、同辻明の各証言に照らすと、右原告らの各供述部分はにわかに措信することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠は存しない。
従って、原告らの右主張も理由がない。
五 以上の次第であって、原告らの本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
計算書
1 公休日出勤手当
イ) 昭和56年4月27日から昭和57年4月15日まで(基本給月額金121,000円)の間の休日出勤日数66日
66日×(121,000円/25日×1.25)=399,300円
ロ) 昭和57年4月16日から昭和58年4月15日まで(基本給月額金126,088円)の間の休日出勤日数50日
50×(126,088/25×1.25)=315,250円
ハ) 昭和58年4月16日から昭和58年6月19日まで(基本給月額金131,983円)の間の休日出勤日数13日
13×(131,983/25×1.25)=85,784円
合計 800,334円
2 時間外勤務手当
イ) 昭和56年4月27日から昭和57年4月15日まで(基本給月額金121,000円)の間の時間外勤務時間287時間
287時間×(121,000円/(25日×8時間)×1.25)=217,044円
ロ) 昭和57年4月16日から昭和58年4月15日まで(基本給月額金126,088円)の間の時間外勤務時間265時間
265×(126,088/(25×8)×1.25)=208,688円
ハ) 昭和58年4月16日から昭和58年6月25日まで(基本給月額金131,983円)の間の時間外勤務時間58時間
58×(131,983/(25×8)×1.25)=47,778円
合計 473,510円
3 賞与未払金
イ) 原告増野紫郎(基本給月額平均126,357円)の2年間の賞与は
126,357円×3か月×2年=758,142円
であるところ被告会社は金237,000円を支払ったのみで,差引未払額は金521,142円である。
ロ) 原告増野幸子(基本給月額83,800円)の2年間の賞与は
83,800×3×2=502,800円
であるところ被告会社は金237,000円を支払ったのみで,差引未払額は金265,800円である。